【体験談】看護師の私がオーストラリアの永住権を目指すにいたるまで(後編)

永住権

読んでほしい人

オーストラリアの永住権を考えている人

オーストラリアの永住権を考えている看護師さん

筆者の経歴紹介

筆者の経歴紹介

出国時25歳

2017-2019年 ワーホリ 2年
(この時に永住権を本格的に目指すか迷っていた)

2019年4月-7月 大学附属の語学学校に通う

2019年7月 University of the Sunshine Coast (USC:現在はUniSC)

2021年9月 卒業、英語試験突破、AHPRA申請(3カ月かかる)

2022年 看護師

2022年12月 永住権招待 (80点、Subclass189)、申請

2023年7月 永住権取得

前回のあらすじ

前編はこちらをクリック。

これは前回のお話の続きです。セカンドワーキングホリデーも始まり、アシスタントナースとして着々とお仕事をこなしていますが、その合間に情報を探しに出かけ、ネットをあさり、政府のサイトを読み込みます。

・・・が、結局オーストラリアの看護師のなり方はよく分からず、なったところで今度は永住権をどう取得するのかもぼんやりしている。そんな自分が困り果ててエージェントに相談にいくところから続きます。

看護師免許取得の方法と永住権への進路

私が利用していたワールドアベニューには移民エージェントの資格を持っている方がいたので、お時間をいただいて相談しに行きました。得た情報は以下の通り。

必要な英語力:IELTS 7.0以上

看護師になる方法は二通り:「ブリッジングコース」または「大学入り直し」

永住権招待が得られるのは65ポイント以上から。でも最近の動向から85以上は欲しい。

私の場合、大学に行けば現行の法律で85点数以上とれる(※法律は毎年何かが変わる)

ブリッジングコースの場合、すぐ看護師登録はできるが、マックスで取れる点数が限りなく低いので危ない橋をわたることになる

ブリッジングコースの利点と欠点

利点:半年で看護師登録可 (お金と時間がかからない)

欠点:その後に取得できるビザがないので、病院からスポンサービザ(激ムズ)を出してもらう必要あり。ビザがもらえなかったら滞在できない→帰国して日本から就活(激ムズ)

大学入り直しの利点と欠点

利点:卒業ビザが2-4年もらえる。つまりスポンサー不要。その間に永住権のためのポイントを上げながら招待までのんびり待てばいい。じっくり英語での医療現場に慣らす時間が得られる。オーストラリアの大卒資格は永住権ポイント加算あり。

欠点:お金と時間がかかる。(編入制度をつかっても2年半)

参考に、実際にオーストラリア政府が出しているデータのサイトを載せておきます。州ごとにどの職種に何人出しているのか、何月に何人招待しているのかがわかります。

永住権を目指すことで得るもの、諦めないといけないもの

私は石橋をたたいて渡るタイプなので、リスクが高すぎる「ブリッジングコース」で永住権を目指す道はすぐに選択肢から捨てました。

では仮にオーストラリアの看護師&永住権を目指すとして、目指すことで得られるもの、捨てないといけないものがあります。

得られるもの

オーストラリアの看護師免許と永住権

オーストラリアの物件購入&子どもが生まれたらオーストラリアで育てられる

海外で生き抜く力と経験

強制的に失われるもの

日本で築いてきた地位とキャリア(全捨て・一時中断)→全部ゼロからやり直し

日本で築いてきた人間関係

日本で過ごすであろう時間(3-5年はオーストラリアに住むことになる)

婚期逃すかも (留学=人生のステージはもれなく遅れる)

20代後半にして貯金全部なくす+2.5年もう一回大学に行く(コレが一番いや)

セカンドワーホリ中旬~ はげるほど悩む

パッと見で捨てないといけないものの方が圧倒的に多いことがわかります。捨てることは確定しているのに、捨てた結果得られるものは「看護師免許と永住権取得への挑戦権」です。どちらもとれる確証はありません。

この時期はセカンドワーホリ(ワーホリ2年目)中旬でした。失敗したらどうしよう、うまくいかなかったらどうしよう、途中で精神的に苦しくなって投げだしたらどうしよう。考えすぎて悩みすぎて、軽くノイローゼ気味になっていました。

誰かに話したくても、私と一緒に語学学校とアシスタントナースの学校に通った人は、すでに半分以上帰国していましたし、本気で看護師を目指す人は私の知る限りいませんでした。

そもそもほかの子たちはオーストラリアを旅行気分でエンジョイしていますが、私はこの国を「定住できるぐらい馴染めるのか」という視点で見ていたので、日本との違いを楽しむ気分にはなれず毎日ぐったりしていました。

永住権を目標にする人がいため友達もできず、ネットで情報を血眼で探しますが欲しい情報は一切なく、一人で答えの出ない問いに悶々としていました。

友達作りを頑張ってみるも、誰とも仲良くなれず

友だち作りも努力しましたがうまくいきませんでした。

ある日、シドニーでワーホリをしている方が多く集まる飲み会に参加してみました。どうやらグループで来ている人や、レストラン等で働いている人同士ですでに知り合いの輪ができていたようで、挨拶をしてすみの席に座ろうとしたら女の子に睨まれたり「そこ埋まってるんでー」とやんわり追い出されたりしました。

やっとテーブルに座れて自己紹介で私がセカンドワーキングホリデーで滞在していることを話すと、「情報を教えて!どこのファーム/ファクトリーで働いたの?給料は?連絡先は?」とひたすらに聞かれ続け、その後は次から次へと情報が欲しい人のために答え続けて会はお開きになり、利用されて寂しい気持ちになっただけで友達をつくるには至りませんでした。

今思えば、「ただ日本人だというだけで無条件に仲良くなれるわけじゃないよな」と納得しています。知らない国に住むということはそれだけでストレスがかかります。言葉が上手に通じない、土台が一切ない国で生き抜くのに必死だから、利用できるものはなんでも使いたい、と思う気持ちも分かります。決して気分のいいものではありませんでしたが。

アシスタントナース5カ月目に一時帰国

不確かな毎日と将来に不安を覚えつつ毎日を過ごすのは、想像以上に心身共に疲弊します。大学への費用になる可能性もあるのでお金をせっせと貯め、夜は情報をあさっては悩む毎日でした。

アシスタントナースとして働き始めて5カ月目、とうとう悩むのにも疲れてきたため永住権と看護師を目指すかどうかについては、とりあえずIELTSを受験して自分の点数を見てから決めることにしました。受験直後に日本に帰れるよう一時帰国の飛行機を手配しました。

同じ悩みを共有する日本人の友達もできず、オーストラリアにのすべてに疲れ切っていた私は、日本にいる友達と家族と食べ物すべてが恋しくてたまらず、英語の試験もどうでもよくなっていました。IELTSは人生ではじめての受験だったため、テスト形式もたいして知らずにのぞみ、結果を見る前にさっさと帰国しました。

IELTSの結果はOverall6.5→願書出すことに

いくつかの項目でスコア7がありましたが、結果はOverall 6.5でした。必要なスコアは7.0以上ですから、「これから勉強するかぁ」と思いつつエージェントにメールで報告し、オンラインでIELTSの教材を注文していたところ・・・。エージェントのオフィスから電話がかかってきました。

「このスコアなら、大学附属のEnglish for Academic Purpose (EAP)コースに行って10週間のテストに受かれば大学に行ける。大学の論文の書き方とかを徹底的に教えるコースだからマジで行っといたほうがいい。願書出すのはタダだし、出してみる?」と言われました。

「願書出すのは無料かー。入学試験とか受けるのかな、落ちたら諦めて帰ろっと」と担当者の発言を完全に勘違いして「あ、じゃあお願いしますー」と二言返事で返しました。(※オーストラリアの大学には入試はありません)

「やばい大学受かった」

あまりに軽く返事したのと日々の疲弊により脳みそが働いていなかったため、願書を出したことすら忘れて過ごすこと数週間。謎のメールが届くと同時にエージェントから電話がかかってきました。

「願書通ったよ、よかったねー来年から大学生だよー」

は?

え、入試は?諦めて帰る気でいたのに、え?

「やばい大学受かった」

もう受かってしまったからには行くしかない、と、流れに身を任せる形で最後は大学行きが決定しました。(まだ勘違いしていた。受かるもなにも、条件を満たして大学側の定員に達してなければ入れる)

こんなに悩んだのに、最後の最後は大学からのオファーレターに後押しされる形であっけなく決まりました。これを受けて、早々にセカンドワーホリを切り上げました。その後日本で稼げるだけ稼ぎ貯金をして、翌年4月にオーストラリアで大学附属の語学学校→大学編入となりました。

というわけで、当初は「オーストラリアの医療を見る、ライフスタイルを日本と比較する」程度の目標だったものが、ワーホリを終える頃にはこうなっていました。

オーストラリアで大学に行って看護師をとるなら、ついでに永住権まで目指す

永住権を目指すと決まって自分に許したこと

私の性格ですが、よく問題を一人で抱え込んでは悩みます。さらに、仕事でも勉強でも、始めたら(意識が飛ぶほど)倒れるまでふんばる気質があります。なので、決断に際して、辛くなったら逃げることを自分で自分に許そう。と誓いました。

日記にはこう書きました。

もし「自分にあわない」と思ったら途中でやめてしまっても自分を責めないこと。もし何かがあって途中であきらめることになったとしても、過去の私の決定を引きずる必要はない。

その時々の自分が思うように人生を決めればいい。心身の健康を崩すぐらいなら、永住権を目指す目標なんて窓からぶん投げればいい。この私がつらいと思うなら、即帰国も許す。今の最善の決定は、未来の自分からみたら、もしかしたら最良の決定じゃないかもしれないから。

私には帰る国がある、場所がある。払ったお金は稼ぎ返せばいい。失って困るものなんて何もないから、やれるところまで挑戦してみればいいじゃない。将来、この日記を見ている私へ。私は、後ろ指ささないよ。途中でやめてもいいからね。

2017年11月某日

おわりに

長くなりましたが、こちらが私が「どうやって永住権を目指すことになったのか」です。

なにも情報を持っていない状態から、徐々にいろんな人(日本人/オーストラリア人看護師、移民エージェントetc.)に出会い、少しずつ状況がわかってきて、それでも日々をオーストラリアで過ごしながら悩み、疲れて休んではまた足を運んで情報を求めて、考えて決まりました。

私のような優柔不断(笑)な人がもしいましたら、永住権を目指すかどうかは、誰にとっても決して簡単な決断ではないこと、しっかり悩んでもいいんですよ、ということを書いておしまいにします。

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